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もうこれで終わりにしますから。

ほんと、これで「Jin-仁-」は終わりにしますから(笑)。
お許しを。



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 慶応四年五月十五日。
上野において強硬派の幕府軍と、大村益次郎を将とする新政府軍との戦いがはじまった。
世に言う上野戦争である。


 バシャリと桶からこぼれた水が袴を濡らす。
 橘恭太郎は桶を落とした両手を見た。真っ赤に腫れ、手のひらは皮膚がやぶれて血がにじむ。
 腕は抜けそうに重く、身体は冷え切っていた。
 もう何度、何十回、こうやって井戸から水を汲み桶を運んだだろう。
 どれだけ運んでも足りない。
 恭太郎は水を運び、水にも何種類もあることを知った。
 汚物を洗う水、傷口を洗う水、飲む水、沸かす水、沸かした水の蒸気を集めた水………
 恭太郎が汲み上げ、運び、桶に移す水はすぐに別なものに形を換え、また空の桶が突きつけられる。
 それはまるで永遠に続く地獄の責め苦のような―――
(そうじゃない)
 恭太郎は顔を上げた。
 目の前には治療処として借りた寺の本堂がある。中からは絶えず呻きや悲鳴が聞こえてきて、血の匂いとツンと鼻にくる消毒液の匂いがする。
この中には怪我人たちと、一時も休まず働く医者たちがいるのだ。
(責め苦でも罰でもない。私は彼らの力になっているのだ)
 水を汲むのだ。汲み続けるのだ。
 命のために、生きるために。
 空の器に水を満たすために、生を満たすように。
「私はここで水を汲む」
 上役にそう言った時、身のうちが震えるような誇りを感じたではないか。
 恭太郎は水桶を手にした。
 皮膚が破れる痛みさえ、生きている証拠なのだと思う。
 南方仁が生かした命の証拠なのだ。

「恭太郎殿!」
 大きな声で呼ばれた。はっと振り向くと坊主頭の福田が転がるように走ってくる。
「す、すぐ来てください! 南方先生が!」
「先生が?! どうされたのだ!」
「長州兵を運び込んだのです、そしたら幕軍の方が………!」
 恭太郎は最後まで聞かず駆け出した。


 本堂の処置室に飛び込むと、そこには筒袖の長州兵が横たわり、その前に南方仁が立っていた。彼の眼前には刀を突きつけている包帯だらけの武士がいる。空気が凍りついたように、周囲の人間の動きが止まっていた。
「南方先生!」
 恭太郎の声にも南方仁は振り向かない。ただ黙って手を広げ、幕軍の武士の前に立っているだけだ。
「そこをどけっ!」
 武士は唾を飛ばし、叫んだ。
「そいつは長州だ! 俺の親友も、弟も、長州に殺された! そいつを斬らせろ!」
「そうだ! そいつは敵だ! なぜ庇う!」
 横たわったままで、あるいは上半身を起こして、治療を受けていた幕軍の侍たちが怒鳴る。そのゴウゴウとした荒れた声の中、南方仁はぴくりとも動かなかった。
「───ここにいるのは幕軍でも、薩長でもありません。ここにいるのは日本人です、私の患者です」
 ここでは幕軍も薩長軍も関係なく治療をする。南方仁は勝海舟にそう言っていた。それを実践するつもりらしい。
「うるさいっ! 貴様も敵だ! どかねば殺す!」
 武士が刀を振り上げた。
「やめろ!」
 恭太郎は刀を抜き、仁の前に飛び出した。
 ガキンッと重い音がして、間一髪、相手の刀を受け止め、そのまま床にねじ伏せる。
「きさまっ! 徳川を裏切る気かっ!」
 男の言葉に恭太郎は唇を噛む。
「私は………っ!」
「やめてください!」
 仁が叫んだ。
「ここは戦場ではありませんっ、病院なんです! 殺しあうなら治って、ここを出てからにしてください!」
 そうして息をひとつつく。
 恭太郎は仁を見上げた。視線をあわせ、仁が穏やかな表情を作った。ゆっくりしゃがむと押さえつけられている武士の包帯を巻いた肩に手を触れる。
「でも、殺しあっても………また私が助けます」
 シン、と周囲が静まりかえる。ガチャンと音が響いたのは、武士が握りしめていた刀から手を離したからだ。
 恭太郎が力を緩めても、男はつっぷしたまま動かなかった。
 南方仁は意識のない長州兵に向き直ると、手早く傷口周辺の衣服を切り裂いた。すぐに多紀が消毒用のアルコールを持ってくる。
「ありがとうございます。佐分利先生、縫合の準備を」
「はい」
 何事もなかったかのように、再び医者たちは動き出す。幕軍の人間たちも忌々しそうな顔をしながら、しかし、おとなしく床に戻った。
 恭太郎は南方仁の顔を見ていた。仁はすでに眼の前の患者に集中している。今、自分の命を奪われそうになったのに。
(私も自分のすべきことをするのだ)
 恭太郎は床につっぷしたままの武士に囁いた。
「………治療に専念してくれ。戦うより、ただ生きることのほうが大変なのだから」
 武士は声もあげずに泣いていた。
 友を思い、兄弟を思い、徳川を思って泣くのだろうか。
 立ち上がった恭太郎の袴の裾をその男が掴んだ。
「………ではおぬしは、ここで……何をしているのだ」
 恭太郎は微笑む。
「私は水を汲んでいるのさ」



 上野戦争は、午前七時から午後五時までの、わずか十時間の戦いであった。

 史実では幕府軍側はほぼ壊滅とされている。
 しかし、別な世界では生き延びたものも多くあったかもしれない……

                 終
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霜月りつ@文筆業

Author:霜月りつ@文筆業
白城るた・あるいは 真坂たま、白雪真朱と名乗ってBLやTLやファンタジーを書いてます。最近は霜月りつ名義で時代物も。
主に読書と映画と着物と同人の日々。独断に満ち満ちてマスので、ついてこれる人だけれっつごー。
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