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やおいの話をします。

明日、24日に大学でやおいの話をすることになった。

なんだそりゃ。

明治大学に国際文化学科というのがあって、日本の文化・メディアを研究しているんだけど、そこでアニメやマンガを扱っている。
もと筑摩書房の編集で、今は大学でそうしたメディア文化を講義している藤本由香里さんからメールをいただいた。
今期のテーマが「やおい・BL」なんだそうだ。

不本意ながらBLを検索すると私の名前が出てきてしまうこともあるので(笑)、連絡してくれたらしい。
とりあえずコミケの話し、やおいの話し、BLの話をすることになって、先週打ち合わせにいった。
藤本さんは私と同世代で、学生時代に読んでいたマンガがほぼ一緒なので盛り上がった。嗚呼、トーマの心臓……。
人前で話をするのはさほど不得手ではないのだが、時事系列をたどるのは苦手なので対談形式にする。
とりあえず明日のためにここにちょっと時事系列と話すことをメモしておく。メモなんであまり真面目に読まなくていいよ。

話すことは3つ
○コミケにおけるやおいの存在
○BL雑誌発生の頃
○BL作品について


私がコミケにはじめていったのは1977年で、この年には3回あった。たぶん冬にいったと思う。すごく混んでいた。
会場は大田区産業会館。
ここでアニパロのえっちな本「美少年ガルーダ特集号」を購入。少女マンガ家のあさぎり夕さん、純原ゆうりさんなどが描いていたと思う。ガッチャマンが好きだった私はこの本に描かれたケンとショーがえらくお耽美になっててびっくりした。
コミケに行きたいと思ったのは当時の部の先輩が「合体同盟」というアニパロ本を見せてくれたからだ。今で言うアンソロジーで数人の人でアニメのパロディ、しかも性的なものを描いていた。私はこの本でアニメキャラクターの服を脱がしていいんだと目からうろこが落ちた。

同人サークルとして参加したのはいつだったか定かではないが、1980年、川崎市民ぷらざで本が足りなくなって取り帰ったことを覚えているからそれ以前からだろう。
この頃はコミケ以外に東京文芸出版という印刷会社が運営していた同人誌即売会もあってそちらにも盛んにでていたからなあ、記憶が混沌。

この時期、3つのエポック的な同人誌が出る。
1つがサークル・らぶりのらっぽり増刊「やおい特集号」。私は東京女子大の漫研の「やっはるー」の増刊かと思っていたがそれは間違いで、おそらく私が買ったとき、サークルの机の上にらっぽりとやはっるーが一緒に置いてあったのだろう。今で言う「委託販売」と思われる。
さて、この本の偉大さはなにかえっちなものを描きたいけど、それがなんなのかわからないという人にひとつの方向性を与えたということだろう。
話なんかなくてもいいんだ、描きたいところだけでいいんだ。そういう自由さだ。
もう1冊は「しべーる」。これは、実際は女性向けのアニパロのえろい本が多くなってきたことへの危機感から発売されたロリコン本で、吾妻ひでおさんらが描いていた。この本以降、美少女系の同人誌が増えていき、コミケのもう一つの主流を作った。
最後に「シャア出世物語」。これは1サークルの1冊の本としては爆発的に売れ、そしてその後のアニパロエロに「やおい」とは違う、新しい自由さを与えた。
その自由さとは「一人のキャラが複数相手にしてもいいんだ」「一人の作家がいろんな組み合わせで書いていいんだ」というもの。
意味わかんないと思うけど、つまり、それまでパロディにおけるエロについてはかなりの規制があった。つまり、キャラクターは純愛しなければならない、一人の人だけを愛さなければならない、そして作者も一つのカップリングだけで、他のカップリングを表現してはいけない。
規則ってわけじゃないけど暗黙の了解というのか、やりたくてもできないような雰囲気だった。それがこの「シャア出世」で枠が外れた。私たちはカップリングの掟から自由になったのだ。

この頃がコミケ的ファーストインパクト。80年~85年の頃だ。学漫主流の同人誌即売会がアニパロへと突き進み、女性の描き手、書き手、読み手がものすごく増えた。

86年頃からC翼ブームとなる。C翼は私たちにまた新しい自由を与える。順列組み合わせと言われる多彩なカップリングと「普通さ」。それまでのアニパロといえばロボットアニメが多かったせいで、主人公は宇宙にいたり、ロボットの操縦者であったりと特殊な人間だった。だがC翼のキャラクターたちはごく普通の学生たちだ。しかも、東京以外の子が多い。北海道から九州まで、地方の子供でもやおいができる(笑)。そういう自由さだ。
このあと聖闘士星矢、シュラト、サムライトルーパーなど多人数の美少年グループが怒濤のように出てくるカラフルなアニメがはじまり(「美少年アニメ」とか言われたな)、女子の同人熱が一気に高まる。あとこの辺の同人誌からプロになった人はかなり多い。

これがセカンドインパクト。86年~89年の頃。

そしてたくさんのアニメや漫画で幸せな時期が過ぎ、96年にエヴァンゲリオンでサードインパクトだけど、もうこのあたりになると特にBLでターニングポイント的なものはないので略。



BL雑誌発生の頃というのは私たちが91年4月に「ボーイビーンズ」というBL本を作り(同時に「ガールビーンズ」という百合本(女性向け)も出した) 、それの売れ行きを聞きつけた白夜書房から「イマージュ」という漫画雑誌、「小説イマージュ」という小説本を出させてもらった。つまり白夜の編プロになった頃からを言う。
wikiではビブロスさんがボーイズラブという言葉を作ったということになっているらしいが、91年12月発売のイマージュの表紙に「ボーイズラブ」というキャッチが乗ったのがはじめではないかと言われている。
BL雑誌の代表のように思われているビブロス(当時は青磁ビブロス、現在はリブレ出版)は、BL雑誌をやるまえはアニパロのアンソロジーを盛んに出していた。ビブロスがBL専門雑誌を出したのは92年。
その他の雑誌ではまだボーイズラブという言葉は使われておらず、イマージュ以外でキャッチに現れるのは94年の二見書房「シャレード」まで待たなければならない。
94年8月に漫画情報誌「ぱふ」でボーイズラブ特集が組まれ、藤本さんによるとその後もぱふは繰り返し「ボーイズラブ」特集を組み、これがボーイズラブという言葉の普及に一役買ったものと思われる。

90年代は様々なボーイズラブ雑誌が出ては消えた。戦後にも沢山の雑誌が出ては消え、そんな雑誌は「三号雑誌」と呼ばれたが(三号で廃刊)、BL雑誌も半分は三号雑誌だった。
90年代はつまりBL雑誌における戦後―――いや、高度経済成長期だったようなものか。


さて、最後のBL作品についてだが、BL作品は今のTLより作家は自由、ある意味野放しだった気がする。わりとなんでも書かせてもらった。つまり必ずハッピーエンドではなくてもいいし、他の人に奪われてもいいし、ひどい目にあってもいいわけだ。TLだと上記のことはだめだっていわれるしな。
ただし、5回はいれてくださいって言われたことがあったなあ(笑)。
でもせっくすシーンさえはいれば何を書いていいという自由さは女性の書き手にかなり広い門戸を開いたと思う。

まあこんなことをきっと明日、もう今日だけど、語ることになるんだろうな。

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プロフィール

霜月りつ@文筆業

Author:霜月りつ@文筆業
白城るた・あるいは 真坂たま、白雪真朱と名乗ってBLやTLやファンタジーを書いてます。最近は霜月りつ名義で時代物も。
主に読書と映画と着物と同人の日々。独断に満ち満ちてマスので、ついてこれる人だけれっつごー。
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